そして次はニューヨークへと場が移る。
時代は抽象表現主義真っ只中。当然、氏は影響を受け、今度は抽象へ転向していく。
そしてはじめの頃は、分かりやすく作品にその影響が見られている。
が、あるタイミングから極端に作品が変わっていく。
その時代の会場へと足を踏み入れた途端、ここには固有のスタイルが刻印されている、とはっきりと確信できるほど、それが分かる。
それくらい明確なスタイルを、ここで突然手にしている。
ベティ・パーソンズ、彼女との出会いがそれをさせたのだと思う。
もう少し具体的に言うと、彼女との出会いを通じて、氏はここで「幽玄」という、自身の作家性を表す言語を手にしている。だから飛躍したのだろうと。
この時代の抽象表現主義といえば、ポロックを筆頭とした「動的な抽象」が主流だったわけだけど、氏はそちらへは行かなかった。
「抽象」に、日本的な美意識である「幽玄」をかけ合わせる事で、「静的な抽象」へと舵を切った。
このかけ合わせの独自性によって、固有の「しるし」を手にしている。
これは想像だけど、パーソンズとの会話を通じて、自分自身を相対化させたのではないか、と思う。
ニューヨークにおける日本人アーティストとしての自分の立ち位置、主流の動的な抽象に対する自身の作家としての立ち位置、等々。
それによって、はじめて自身と向き合い、アイデンティティを再発見し、進むべきスタイルを見つける事ができた。
そんな過程があったんじゃないだろうか。
だからこそこの時代の作品には、氏にしかつくることの出来ない新しい抽象表現主義が、刻印されている。
スタイル確立後、ニューヨークで受け入れられた後からの、扇や波などの日本的モチーフを多用した作品については、あまりに直接的すぎて正直に言えば好きにはなれないのだけど、パーソンズとの出会いを通じてスタイルを獲得した「直後の作品」の数点には、「違う何か」が刻まれていると思う。
「自身を相対化せざるを得ない環境へ身を置く」
それが自身のスタイルを獲得するうえでの一つのトリガーになることが、よく分かる遍歴なのではと思う。
フランスからアメリカへとシーンが移っていく変化の中心へ身を置く事で増す、「じゃあ、お前はどうするんだ?」への問題の切実さの度合い。それは、日本にいた時のそれとは比較にならなかったのではないだろうか。